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2010年10月28日

計算書

 「母さんには分からないなんて、なんという事を言うのよ。商売人の
  母さんは、あんたよりよっぽど計算に強いに決まっているわ。」

私達姉妹の言い争いに、見かねた母が、割って入った。

 「いいかげんにしなさい。もう、いいから、早く計算してしまってよ。
  先方も待っている筈だから。」

 計算が終わって、今度はシズと母の意見が合わなかった。先方との約束は
折半ということになっていたそうだが、シズが端数を全てこちらで持とうと
言い出し、勝手に計算書を作ってしまったのである。

 「端数を持つのは構わないけど、相談もなしに、どうして勝手にあんたが
  決めてしまうのよ。」
 「別にこのくらい、いいじゃない。母さんにとっては大した金額じゃない
  でしょう?」
 「このくらいっていうけれど、計算は計算。正しく計算した上で、向こうに
  説明して決めるのが筋でしょう?」
 
シズは、顔を真っ赤にして不満と怒りを露にしたが、黙って計算書を書き直した。

posted by たかママ at 22:30 | Comment(0) | 日記
2010年10月27日

代理

 家に着くと、母とシズは結婚式に掛かった費用の計算を始めた。費用は
200万円ほど掛かったらしい。派手な披露宴で、母は予算をオーバーした
と溜息をついていた。
 シズは支払いの明細や領収書、レシートをめくりながら、何度も電卓を
叩いては、首をかしげていた。そのもたもたした様子に、私はつい口を
出してしまった。

 「闇雲に足していかないで、項目別に整理したら?」
 「あんたに関係ないんだから、黙っててよ!」
 「それは分かっているわよ。でも、費用は先方と折半するんでしょう?
  余計なことかもしれないけれど、項目別に整理しておいたら、説明する時、
  楽に出来ると思ってさ。」
 「仲人は私なんだから、口出ししないでよ!」
 「おかしなことを言うわねえ。仲人が結婚式の費用の計算をして、折半の方法
  まで口出しするなんて、聞いたことがないわ。それとも、母さんの代理にでも
  なった気でいるの?」
 「代理になったつもりは無いけど、母さんには分からないと思って、計算して
  あげているだけじゃない。文句があるなら、あんたがしたらいいじゃない!」

posted by たかママ at 22:55 | Comment(0) | 日記
2010年10月26日

金屏風

 披露宴終了後、シズの夫の運転する車で、母とミナと共に多摩ニュー
タウンのシズの家に向かった。車の中では、シズが大はしゃぎで、雄弁に
夫婦で結婚式の話を延々と喋っていた。隣で母は何やら不機嫌そうに押し
黙っていた。
 後部座席で、ミナは小声で私に話しかけた。

 「シズったら、妙に上機嫌だと思わない?」

ミナは子供の頃から、シズのことを姉さんと呼んだことがなかった。

 「初めて仲人をしたので、舞い上がっているんじゃないの?」
 「そうかもよ。ず〜っと新郎新婦と一緒に金屏風の前に座っていたもの。
  きっと華々しくて、嬉かったんじゃない?」
 「自分が主役じゃないのにね。」
 「そう、そう、ウフフフ。」

 私とミナが、こそこそ話しているのを母が目配せしてをしてきた。
その目は“もう、いい加減にしておきなさい”と言っているようだった。
私はミナに囁いた。
 「ユウとケンが騒いでいたから、聞こえてないよね?」
ミナは黙って頷いた。

posted by たかママ at 22:09 | Comment(0) | 日記
2010年10月24日

影響力

 話を再び、弟ヒロの結婚式に戻すとしよう。

 披露宴の席を空けて、叔母に叱られた私と妹のミナは、首をすくめながら、
自分の席に着いた。それを見ていた母が、私達を援護するように口を挟んだ。

 「あの人は(花嫁の父親)は、やっぱりちょっと可笑しいよ。結納の時にも、
  私の隣にベタッて座ってヘラヘラしてさ、気持ち悪かったよ。こんな人と、
  親戚になるのかと思うと、ちょっと気が重かったけど、娘は娘、親は親。
  ヒロが良ければ、私は何にも言わないことにしたのよ。だから、あんた達も
  余計なことは気にしないで、今日のところはヒロに免じて、忘れなさい。」
 「本当に大丈夫なのか? 今さら、心配しても遅いかもしれないけど、ヒロは
  変な女に引っ掛かったんじゃないだろうね。親の影響力は強いからね。
  姉さん達が側にいるから、気をつけてやるんだよ。」

祖父も心配して、口を挟んだ。

 長時間にわたった披露宴は、お決まりの両親への花束贈呈で終了した。
私はシズのところへ一泊して、京都へ戻ることにした。祖父は仕事で、名古屋へ
出発した。私は、祖父と会ったのは、これが最後になるとは、この時は想像だに
しなかった。

posted by たかママ at 21:54 | Comment(0) | 日記
2010年10月21日

宿命

 お金を使う機会がないので、持っていてもしようがない。家に送って
あげる方が家族が喜ぶし、その方が嬉しいとHは笑った。

 「伯母さんが、Hが、苦労して働いて送ってきてくれたお金は有難すぎて、
  使えない。でも、使わなければ、やっていけないから情けないって、
  言っていたよ。苦労させて 申し訳ないってもね。」
 「そんなことないよ。親父が刑務所に入っていた頃の生活の惨めさに
  比べれば、どうってことないよ。妹や弟も小さいし、まだまだ、学校に
  お金が掛かるしさ。そのお金で生活を立て直すことが出来れば良いんだよ」
 「でもえらいよねえ。家族のためにそこまで出来るなんて、感心するよ。」
 「それは、たか姉(ねえ)だって同じだろ? 東京に行って以来、ずっと仕送り
  してるんだろ? 叔母さんに前に聞いたことがあるよ。」
 「それはそうだけどさ。お互い、一番上に生まれた者の宿命ってやつかな?
  親が苦労しているのを、黙って見てられないよね。」
 
私達は、たまに会うと、姉弟のように本音で話し合ったものだ。

 Hは、その後10年もの間、タンカーに乗り、お金を送り続け、すっかり実家の
経済を立て直した。

posted by たかママ at 23:01 | Comment(0) | 日記
2010年10月20日

全額

 Hは給料や蓄えたチップを全額残らず、沖縄の実家に送金していた。
私は当時、東京にいたので、Hの詳しい様子は分からなかったが、時折、
母の便りで知るくらいだった。

 帰省した私と、偶然休暇で沖縄に戻ったHに会った。収入の全額を家に
送っていることについて、彼に聞いてみた。

 「給料やチップも、全部、家に送ってるんだって? うちのお母さんが、
  Hはとても親孝行だって、感心していたわよ。」
 「今まで、父さんや母さんが苦労したことを思えば、大したことないよ。
  それに、弟や妹が、皆、学校があるし、まだまだお金がいるしさ。僕が
  送っているくらいじゃ足りないと思うよ。」
 「でも、全額送ってしまったら、小遣いにも困るでしょうに、大丈夫なの?」
 「いやぁ、それがさ、船の上ではお金を使うところが無いのさ。食べたい
  放題、飲みたい放題だし、僕は酒もタバコも飲まないしお金なんか必要
  ないんだよ。」
 「タンカーがどこか外国に寄港した時に上陸したりしないの? そんな時に、
  お金が要ることもあるでしょう?」
 「ああ、そういう時は大抵先輩と一緒だろ。おごって貰えるから、またまた、
  お金は要らないって訳さ。」 

posted by たかママ at 22:03 | Comment(0) | 日記
2010年10月19日

タンカー

 Hは高校を卒業すると、両親や私達、親戚の猛反対を押し切って、
外国のタンカーの乗組員になってしまった。もちろん、陸の上の会社員
などとは比べ物にならないくらい、収入が良かったのである。

 当時、タンカーはスエズ運河やパナマ運河などを航行していて、航行中は
海賊などに襲われるような危険に遭遇したこともあったらしい。乗組員は
ほとんどが外国人で、雑多な人種がいて、共通語は英語であった。高校を
出たばかりのHは、英語が全く喋れなかった。
 始めはもっぱらボディランゲージで意思の疎通をはかった。それでも、
最年少の乗り組み員でもあり、ちょこまかよく動く彼は先輩乗組員に
可愛がられた。

 休みになると、船の上では先輩乗組員達がポーカーなどのゲームやギャンブ
ルなどで、時間つぶす。そんな時は、Hの稼ぎ時である。タバコや、酒などを
用意するための使い走りで、チップが貰えるからだ。仕事は厳しかったが、
そのうち英語も喋れるようになり、Hはチップが稼げる休日が楽しみになって
いったと言う。

posted by たかママ at 22:51 | Comment(0) | 日記
2010年10月17日

決心

 母の“守銭奴か?”と言うきつい質問にも、従弟のHは平然として母に
切り返すのであった。
 
 「叔母ちゃん、そんなこと言うけど、僕等のお金がない辛さはよく知って
  いるでしょう?」
 「それは、言われなくても分かっているけど、口に出して金、金、言うもん
  じゃないよ。口に出して言ったからって、お金が降って湧いてくる訳じゃ
  ないでしょうに。」
 「だけど、あの時、お金があったら、親父が刑務所に入らなくて済んだと
  思うんだ。僕はまだ子供だったから、よく理解できていなかったけど、
  保釈金さえあればって、お母さんがとても辛そうだったのを見ていた
  からね。それに、親父が刑務所に入っている間、お母さんが僕達を育てる
  ために、言葉に出来ないほどの苦労をしているのを知っているしね。大人に
  なったら、絶対にお金儲けしてやろうって決心したんだ。そして、親父が
  失ってしまった家や土地を買い戻してやるんだ。」

 本来なら、罪にもならない罪で服役せざるを得なくなった父親の無念さは、
Hの人生観にも大きな影響を及ぼしたのである。

posted by たかママ at 22:02 | Comment(0) | 日記
2010年10月14日

守銭奴

 伯父が出所した後も、伯母や従弟妹達の生活は相変わらす苦しかった。
幼い頃から測り知れない苦労をした7人の兄弟姉妹は、仲が良く結束力の
強い親思いに育った。

 特に伯母の産んだ一番上のHは、戸籍上の長男である伯父の連れ子が
不祥事を起こして、母方の祖母に引き取られた後は、次男でありながら、
実質は長男の役目をひしひしと感じていた。伯父や伯母も精神的な支え
にして、頼りにしていた。
 Hや長女のA子は中学生や高校生になるとアルバイトをして、両親に協力
しながら、学業と両立していた。特にHは成績も悪くなく、本来なら、大学へ
進学して自分の将来の夢もあったと思うが、そのことを話題にすることもなく、
ひたすらお金を稼ぐ事を考えていたようだった。
たまに顔を合わせると、いかにして金が稼げるかと、得々と私に話して聞か
せるのが常だった。そんな彼に、商売人の娘の私の母も、呆れ果て言った。

 「口を開けば、金、金、金・・・。お前は守銭奴か?」
 
posted by たかママ at 22:30 | Comment(0) | 日記
2010年10月13日

光景

 トラックの上では座る位置が決まっているようだ。伯父はいつも往路には、
我が家に向かって座っていて、帰路に反対側に背を向ける形で座っていた。
帰路には背を伸ばしながら、振り返るように、視線を我が家の方に向けている
のが伯父が印象的だった。
しかし、この日はいつもと違っていた。仲間の受刑者に、座る位置を代わって
貰ったのだろうか、帰路も我が家に向かって座っていた。帰りのトラックも、
心なしかスピードを落としているように思えた。トラックを運転している看守が
気を遣って、スピード押さえてくれたのかもしれないと、私は思って、母にそれ
となく聞いてみた。

 「帰りのトラックは、スピード遅くなかった? 伯父さんもH(従弟)も良く顔が
  見えたみたいだったよ。」
 「きっと運転していた看守さんが良い人だったんだよ。子供達が来ていることを
  分かってて、ゆっくり走ってくれたんだねえ。皆優しいんだね。」

 今度は伯父も従弟妹達も落ち着いて、互いの顔を確認し合えたようだった。
この光景は、伯父は出所する2年ほどの間に何度か繰り返された。片道のバス
の料金で来た従弟妹達は、母から帰りのバス賃を貰い、それぞれが、手に持ち
きれないくらいの乾麺などのお土産の保存食を抱えて、伯母の元に帰って行った。

posted by たかママ at 22:03 | Comment(0) | 日記
2010年10月12日

気持ち

 まだ、小学校に通っている従姉が母に聞いた。

 「叔母ちゃん、どうして、父さんって呼んではいけないの? 手を
  振ってもダメなの?」
 「たまたま作業に行く場所が、叔母さんの家の前を通っていくから、
  お父さんの様子を見ることが出来るけど、一緒にトラックに乗って
  作業に行く人も、皆、家族に会いたいと思っているでしょう? 
  なのに、お父さんだけが、皆の顔が見られるなんて、ずるいと思わ
  れるかも知れないでしょう? それに、服役している人はやたらに、
  外の人と話をしてはいけないという規則なんだって。」
 「家族でも? 子供でも?」
 「そう。ちゃんと手続きをして、面会に行けば、会ってお話が出来る
  けどね。でも、子供だけではそれも無理だねえ。」
 「でも叔母ちゃん、一緒に乗っていた人たちも、僕達のこと見ていたよ。
  お父さん、大丈夫かなぁ? 何か言われたりしないかな?」
 「そうだねえ。皆、お父さんの気持ちがよく分かっているんじゃない
  のかな? お父さんが子供達の顔を見ることが出来て、良かったなあ
  と、きっと、思ってくれていると思うよ。」

posted by たかママ at 21:28 | Comment(0) | 日記
2010年10月10日

シィーッ!

 トラックが差し掛かったとたん、窓に爪先立ちになって捕まっていた
小さい従弟妹達が騒ぎ出した。
 
 「あっ! 父さん! 父さんだ!」
 「父さん、こっち、こっち!」 
 「シィーッ! 父さんって呼んでは駄目って、叔母ちゃんが言って
  いただろう? 静かにするんだ。」

上の従弟が、弟や妹の口を手ふさいだ。二番目の従姉は、手を振っている
子の手をギュッと押さえた。皆、押し黙って、目だけは近づいてきたトラック
の荷台に座っている父親の姿を追っていた。

 伯父も窓際の子供達に気がついた。伯父は腰を浮かし気味に、折り重なる
ようにしがみついている子供達を、じっと見詰めていた。伯父の目には涙が
溢れているように見えた。
 子供達の目にも、涙が溢れて止まらなかった。部屋はしばらくの間、子供達
のしゃくりあげる声と、大きい従弟妹達の切なくすすり泣く声に包まれた。

 「作業が終わって帰る時に通るから、また会えるよ・・・。」

慰めるように従姉弟達に声をかけた母も、切なくて胸が張り裂けそうだった
という。

posted by たかママ at 23:10 | Comment(0) | 日記
2010年10月07日

トラック

 子供の頃から海を背中に育った環境にあったせいか、従姉弟たちは、
全員が泳ぎが得意である。中には素潜りで魚も捕まえてくる。得意な事が
生活の助けになっているのであった。金槌の私にとっては、うらやましい
限りだ。

 夏休みになると、従姉弟達は伯母が仕事に出て行って留守の間に、片道の
バス賃で我が家にやってくる。時には泊まって行く事もあった。
我が家の前の通りは、服役している父親が屋外作業に出掛ける時のトラック
の通り道になっていた。いつも、午前中の決まった時刻にトラックは通過して
いく。伯父は体を我が家の方に向け、トラックの荷台に他の服役者と一緒に
膝を抱えて座っていた。
 父や母も、その時間になると目を凝らして伯父の姿を求めて、トラックが
通過するのを待ったものだった。目が合うと、伯父は周りの者に気を遣い
ながら、そっとお辞儀をしていた。

 従姉弟達は、窓の側ににじり寄り、今か今かとトラックの通過を待っていた。
一番上の従弟が “あっ!”と声を上げそうになって、慌てて口元を手で塞いだ。

 「トラックが通っても、お父さんと呼んでは駄目よ。」

と、私の母に注意されていたからだ。

posted by たかママ at 22:46 | Comment(0) | 日記
2010年10月06日

帰り

 もちろん、伯父に罪の意識はなかった。捨ててあるゴミを処理しただけで、
盗んだと言われるとは、どうしても思えなかった。

 当時、父や伯母の従姉の夫が那覇地検の検事をしていた。その人が、いろ
いろと手を尽くしてくれたが、米軍の軍事裁判には、何の役にも立たなかった。
“不用品を処分しただけ”という言い分は聞き入れられず、結局、伯父は起訴
され、窃盗罪が確定した。

 息子のために財産を全て失って、毎日の生活にも事欠く状況では保釈金を
用意することは出来なかった。伯父は、服役せざるを得なかった。
 弱り目に祟り目とはこの事である。伯父が服役してからの一家の生活は、
これまで
よりまして苦しい状況になった。
 伯母は夜勤の仕事もこなし、ひたすら、夫の帰りを子供達と一緒に待つ、辛い
日々が続いた。暖かくなると、従姉弟達は裏の海で貝など採っては、生活の足し
にしていた。
 あの頃の従姉弟たちのおやつも茹でた貝類だったのを思い出す。今、思えば、
ずいぶん贅沢なおやつのようだが、生活の知恵というのか、お金の掛からない
自然に恵まれた環境にあったといえる。

posted by たかママ at 22:59 | Comment(0) | 日記
2010年10月05日

空き瓶

 ある日の事、突然、米軍基地で働く伯父が米軍警察に捕まったと、伯母
から連絡が入った。息子の事件以来、やっと生活も落ち着いてきた矢先の
降って湧いたような出来事に、伯母は訳が分からず、目の前が真っ暗に
なったと言う。
 私の父は驚き、あらゆる伝を頼って事実を確かめるのに躍起になっていた。

“あの正直者のSに何が起きたのか?”

父はかつて勤めていたアメリカ軍の消防署の知人に事情を調べて貰って、
ようやく事情が分かってきた。
 米軍基地内で清掃や草刈などの仕事をしていると、草むらのあちこちに
ウィスキーなど洋酒の空き瓶が無数に転がっている。それを集めて片付ける
のも、伯父達の仕事だった。
 沖縄の地場産業のガラス工芸は、コーラ等の飲料水やアルコールなどの
空き瓶を、高温で溶かして再生することで成り立っている。基地内で掃除の
時に集まる空き瓶は、まさにその材料になるのである。伯父は仲間と共に、
その空き瓶を基地の外に持ち出し、業者に売って僅かばかりの現金に換えた
のである。
 その事が、窃盗の罪に当たるのだと言う。つまり、基地内の物を勝手に持ち
出したので窃盗罪だという。

posted by たかママ at 22:37 | Comment(0) | 日記
2010年10月03日

結束力

 伯母の一家は、魚屋の時に建てた広々とした家を売って、海に近い
堤防の側にある小さな家に移った。建付けの良かった、今までの家とは
違い、冬などは海からの吹きつける風が、雨戸や窓の隙間から容赦なく
入ってくる。子供達は、寒さと叩きつける風で雨戸がギシギシと鳴る音に、
恐怖に震えた。

 まだ小さい子供達を育てる為、伯母は沖縄に駐留していアメリカ人家庭
の通いのハウスメイド(お手伝いさん)として、働き出した。叔父は米軍基地
の日雇いの労務の仕事に就いた。基地内の草刈、掃除などを中心に、何人か
のグループで作業をした。
 両親が仕事で留守の間は、上の子が下の子達の世話をした。伯母の産んだ
子供の一番上は私より一歳下の男の子、次が年子の女の子、女、男、女、女、
女の7人。その頃、一番下の女の子はまだよちよち歩きの幼児だった。伯父や
伯母が仕事の都合で帰れない時は、子供達だけで肩を寄せ合うように過ごした。

 私にとっても姉弟妹のような従弟妹だが、彼等の結束力は、私の想像の粋を
超えている。お互いに思いやり、伯母に似たのか、それぞれがとてもやさしい。
 上のHは、腹違いの兄の不祥事から生活が一変したのに、その事を恨むわけ
でもなく、亡くなった母方の祖母に預けられた兄を心配していた。家の中では、
兄の話題は厳禁だったが、たまに会う私の母に“今頃、兄はどうしているのか
心配だ”と、話していたそうだ。

posted by たかママ at 22:55 | Comment(0) | 日記
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