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2010年09月30日

一変

 悪い仲間の要求に応じられないと断ると、今度は暴力に物を言わせて、ねじ
伏せた。さらに、今までの事実を親に話すと脅迫したのである。暴力や脅迫に
耐えても、従兄は自分と行動を共にしてくれる友人が欲しかったのである。 
 従兄は、ついに生徒会のお金に手を付けてしまった。時には親の目を盗んで、
店の売上金も持ち出したらしい。こんな事が長続きする訳もなく、学校に知れる
ことになった。

 この事実を知らされた叔母夫婦の驚き、悲しみにくれた。叔父は我が子の起こ
した不祥事に怒った。叔母は生さぬ仲の息子がしたことに、継母として育て方を
間違えたと悲しみ、嘆き苦しんだ。
 学校側は横領事件として表ざたににしないことを条件に、全額を賠償を要求
してきた。勿論、学校は退学になった。
叔父は盛況だったパチンコ屋を人手に渡し、息子の横領した金額の賠償に
充てることにした。パチンコ屋を売ってでも賠償しなければならなかった金額とは
どの位あったのか、私には想像がつかない。

 この事件で、伯母一家の生活は一変したのである。天国から地獄へとはこの
ことかと思われるほど、日々の暮らしにも困窮したのである。

posted by たかママ at 22:21 | Comment(0) | 日記
2010年09月29日

立場

 しかし、事業の成功で有頂天になった叔父を、悲劇のどん底に落とす
事件が起ころうとは誰も予想だにしなかった。

 叔父の先妻の子、Sはかなりの秀才であった。性格も温厚で、いつも
ニコニコ顔で“伯母さん、伯母さん”と慕ってくる従兄のSは、私の母の
お気に入りだった。
 そんな彼も、父親がパチンコ業で成功した頃には、すでに工業高校の
3年生になっていた。成績が優秀だった彼は、生徒会の役員を務めるほど、
同級生や後輩達からも信頼が厚かったようだ。

 しかし、家庭の中では、後妻に来た叔母に腹違いの弟や妹が出来、家族が
大勢いても、自分の居場所は無く、孤独な毎日にいたたまれなかった。
そんな時、人が良く気の弱い彼に、悪い仲間が近づいてきた。つまり、悪い
遊び仲間が出来たのである。

 その頃の生徒会はクラブ費用などの管理を生徒の自治に任されていた
らしい。近づいてきた連中は、そんな彼の立場を利用して、金銭を要求して
きたのである。いくら父親が事業に成功していても、高校生の小遣いは高が
知れている。始めは自分の小遣いでまかなっていたが、悪い仲間の要求は
だんだんエスカレートしてきた。

posted by たかママ at 22:53 | Comment(0) | 日記
2010年09月28日

成功

 叔母の夫は魚屋で成功したのを足がかりに、いろいろな事業に手を出して
いた。最も成功したのは、パチンコ屋であった。

 近年、沖縄観光の若者のスポットとして有名になった北谷(ちゃたん)に、
店をオープンした。
 当時、パチンコは現在のように誰もが気軽に遊べる娯楽ではなかった。
店に出入りする人達は、一般市民から見れば、特別な人種に見られていた。
今では、日本中何処へ行っても、夜になるとパチンコ店のネオンが煌々と
派手に輝いているが、当時としては珍しい商売だったようだ。

 チンジャラと玉の流れる音は聞こえていたが、外からは中は見通すことが
出来ず、何やら怪しい雰囲気があった。
 しかし、叔父は先見の明があったのか、事業は爆発的な成功を収めた。
もちろん、一家の生活は潤ったのは言うまでもない。叔父は飛ぶ鳥を落とす
勢いで、親戚中の羨望の的になり、鼻高々だった。 

 商売人の娘として育った母は、自分も商売がしたいと羨ましがったが、
公務員で堅物の父はパチンコ屋を“不健全な商売で堅気のやる商売では
ない”と批判的だった。

posted by たかママ at 23:10 | Comment(0) | 日記
2010年09月26日

従兄

 叔母がなさぬ仲の子供の養育と家事に追われている時に、夫には外に
女の子が存在することが分かったのである。その女の子は私より1歳年上
で、叔母がその事実を知った時には、すでに他家に養女として貰われて
行った後だった。言葉で言い表す事の出来ない程、衝撃を受けたことは
言うまでもない。
 あまりの夫の身勝手さに、叔母は離婚して実家に戻ることも考えたが、
明治生まれの祖父はそれを許さなかった。それに、なさぬ仲とはいえ、
一人の男の子の母親になったのである。その子を置き去りにして、実家に
帰る訳には行かなかった。

 叔母夫婦は新婚と同時に、母方の祖母に預けられていた夫の先妻の子を
引き取った。だんだん難しくなっていく年頃の男の子は、なかなか叔母に
馴染もうとはしなかった。いつまで経っても、『お母さん』とは呼んで貰え
なかったようだ。
 私が物心ついてから、親戚の寄り合いなどで、たまに会う従兄が叔母の
ことを『小母さん』と呼んでいたのを見て、不思議に思って母に聞いたもの
だった。 

 「お母さん、S従兄さんは何故、叔母さんのことを“お母さん”と
  呼ばないの?」

困った母は、詳しいことを話してはくれなかったが、私も成長するにつれ、
自然にその事実を知ってしまい、話題にしてはいけないことだと理解する
ようになった。

posted by たかママ at 22:47 | Comment(0) | 日記
2010年09月23日

縁談

 デパート勤めをしている叔母に縁談が持ちあがった。今、政治的にしきりに
問題になっている、普天間に住む旧家の男性であった。なかなかの男前で、
病死した妻との間に5歳の男の子が一人いた。祖母は大事な一人娘を、結婚歴
のある一回りも歳の離れた男に嫁にやるのを反対した。まして、難しい年齢に
差し掛かる子供までいるのだ。
 しかし、祖父はその男性を一目で気に入ったそうだ。気骨があって正直そうな
男性に娘を嫁がせて良いと思った祖父は、反対する祖母を説得して結婚させた
と言う。

 叔母の結婚生活は祖父が望んだ、平穏な暮らしででは無かったようだ。
街育ちの娘が田舎の暮らしや、驚くほど沢山いる夫の親戚や係累に馴染むのも
大変だった。夫が漁師をしながら、魚屋を経営している時は、金回りも良く、
羽振りの良い暮らしをしていてた。
 その頃が、叔母にとって一番幸せな時期だったかも知れない。子宝にも恵ま
れ、叔母自身が生んだ子供は二男五女にもなる。

外ては、幸か不幸か男前が災いしてか、モテモテで浮気ざたで、年中もめ事が
耐えなかった。叔母が一番胸を痛めたのは、外に子供が出来たことを知らされ
た時だった。

posted by たかママ at 23:50 | Comment(0) | 日記
2010年09月22日

女の本分

 叔母は高等小学校(中学校)を卒業すると、戦前の沖縄にあった唯一の
デパートの経理部に就職した。本人は女子師範学校へ進みたいと希望したが、
明治生まれの父親(祖父)は反対したそうだ。

 「女が学問をすると、ろくなことにならない。良い相手を見つけて、幸せな
  結婚するのが女の本分だ。」

 これは、祖母が幼い時に父親代わりの兄から、同じことを言われたという。
もし、叔母が就職、結婚の道をとらず、女子師範学校へ進んでいたら、間違い
なく、映画などで有名な“ひめゆり部隊”か、“白梅隊”に配属され、戦争に
従軍したはずである。そうなっていたら、叔母も生きて帰ってこれたか、想像
に難くない。

 父は母親(祖母)に良く似ていたが、叔母は父親(祖父)に似ていたのだろう。
卵形の顔立ちに目鼻立ちがはっきりしていて、若い頃はさぞ美しかったであろう
と想像できた。ヒロやミナは、この叔母に良く似ているかもしれない。タエも、
この叔母に似ている。
 終戦後、台湾から母と乳飲み子の私を連れて帰って来た父に、驚いたそうだ。
しかし、女兄弟のいない叔母は二歳年下の兄嫁を、姉妹が出来たと喜んだと
言う。

posted by たかママ at 23:02 | Comment(0) | 日記
2010年09月21日

叔母

 席へ戻ると、親父は自分の席を戻っていたので、ミナと二人ホッとした
ものだ。しかし、叔母には席を空けていたことで叱られてしまった。
   
 「二人で何処へ行ってたの? 駄目じゃない! おめでたい席なんだから、
  少し辛抱しなさい、親戚になる人なんだから。それにお酒も入っている
  ことだし、ヒロのためにも大目にみなさい。」

 この叔母は、私達に母よりも親らしい心遣いをしてくれる。私にとっては、
母よりも大事な大好きな人である。ここで、この叔母について、少し触れて
みたい。

 長男、次男、三男(父)、叔母ハツ、四男。男4人兄弟のうち、父を除く
3人のおじ達は先の太平洋戦争で、その命を落とした。ただ一人、父だけが
復員したのである。一人娘の叔母は、男兄弟のアイドル的存在で皆から可愛が
られて育った。幼い頃から、目鼻立ちのはっきりした、なかなかの美形で利発
だったようで、親戚中の評判の女の子だった。
  
 「わちなぐい(湧稲国・・・私の実家の屋号)のハッちゃんは、賢いし、きっと
  良縁に恵まれるに違いない。」

事実、15、6歳になると、親戚中からやって来る、降るような縁談を断るのに、
苦労したらしい。

posted by たかママ at 22:22 | Comment(0) | 日記
2010年09月19日

当然

 この図々しい親父は、今度は妹のミナの隣に座って話しかけはじめた。
 
 「末のお姉さんは、ヒロくんと良く似ていてますなあ。」
 「それは姉弟ですから、似ていて当然でしょう? 同じ両親から生まれ
  たんですから。」

ミナは面倒くさそうに、うっとうしそうに眉をひそめながら答えた。親父は、
そんなミナの態度を知ってか知らずか、なおも話し続けた。

 「そりゃ、そうだ。ワッハッハッハ。いや、実に可愛くってチャーミングだ。
  妹さんと言っても良いくらいだ。独身だと聞いていますが、私が良い人を
  紹介しましょうか?」
 「結構です。今の所、私、結婚する気ありませんから。」

ミナは、明らかに不機嫌になり、トイレと席を立って行ったので、私も後を追い
かけた。

 「何なの、あの親父! 酒の臭いぷんぷんさせて、顔を近づけてきてさ。ヒロ
  の披露宴の席でなかったら、張り倒してやる所だわ。あ〜ぁ、気分悪い。」
 「ホント! 下心見え見えって感じ。あんな親父の娘を嫁に貰って、ヒロ、
  大丈夫かしらねえ。」

posted by たかママ at 22:19 | Comment(0) | 日記
2010年09月16日

うさんくさい

 披露宴も終盤に差し掛かった頃、中年の男性が私達の席に近づいて
きた。ほろ酔い機嫌で、妙にテンションが高い。その男性は、母に笑い
かけながら、走り回っている甥の席に腰掛けた。
 
 「お母さん、本当にいい結婚式ですね。私はねえ、皆さんと親戚になれて
  嬉しいんですよ。ところで、こちらは京都の一番上のお姉さんですか?」
 
 母が、ヒロのお嫁さんの父親だと紹介してくれた。
私は、“何だか、にやけてうさんくさい親父だな“と思った。

 「始めまして、宜しくお願いします。」
 「そうですか、京都に住んでるんですか? いいですねえ。私、一度も
  京都に行ったことが無いんですよ。今度、せひ行きたいと思っているん
  です。行った時には、案内の方、宜しくお願いしますよ。これからは、
  京都の親戚が出来たんで、楽しみが増えます。本当に、嬉しいなあ。」

 初対面にも関わらず、押し付けがましく、旅行の案内を頼むなんて、何と
図々しい親父だと、気分が悪かった。

posted by たかママ at 23:39 | Comment(0) | 日記
2010年09月15日

仲人

 シズ夫婦は金屏風の前の新郎新婦を挟んで、仲人の顔をして澄まして
座っていた。
 お決まりの新郎新婦の紹介では、シズの夫は、まるで頼まれた仲人が
用意された経歴書を読み上げるようなやり方だった。その言葉には、義理
の弟に対する愛情は微塵も感じられなかった。そんな様子に、叔母は私に
耳打ちした。
 
 「どうして、ヒロの仲人をシズ夫婦がやっているの? 誰が決めたの? 
  さっきから可笑しいと思っていたのよ。」
 「そうなのよ。母さんも私もずいぶん反対したんだけどね。先方のご両親の
  たっての頼みで断れなかったって、シズが言っていたわ。」
 「だからと言って、姉夫婦が弟の仲人なんて聞いたこと無いねえ。挨拶も、
  他人行儀に義理の弟を○○ヒロさんとか言って、私には理解できないよ。」
 「周りの人にはヒロの姉であることは伏せてあるんじゃないのかな? まあ、
  本人達もやりたがっていたし、私や母さんの言うことなんか聞かないのよ。」
 「普通なら考えられないことだから、周りに内緒にしてあるんだろう?」

叔母と私の話を黙って聞いていた母も、“そうだ、そうだ”と言わんばかりに
頷いた。

posted by たかママ at 23:12 | Comment(0) | 日記
2010年09月14日

演出

 最近では珍しくなくった派手な演出で、ゴンドラから新郎新婦が降りて
きたり、スモークを焚いたり、驚かされたものだった。
 しかし、シズの二人の子供達は、この演出に大喜びだった。特に、上の
娘は、私にそのゴンドラに乗りたいと、無邪気に我がままを言って聞かな
かった。

 「ねえねえ、伯母ちゃん、伯母ちゃん、私もあの大きなブランコに乗り
  たい  なあ。ヒロ叔父ちゃんに頼んでもいい?」
 「あれはねえ、お婿さんと花嫁さんが乗るゴンドラって言うの。ユウちゃん
  も  大人になって、お嫁さんになる時にきっと乗れるよ。それまでの
  楽しみだね。」
 「ええ〜っ! 今、乗りたいなあ。どうしても駄目?」
 「今日は、どうしても駄目。早く大人になって、お婿さんを見つけてからね。」

 ユウは口を尖らせて何か言いたそうだったが、しぶしぶ納得したようだった。 
弟の方はは、もくもくと沸きあがってくるスモークの中を走り廻って、大歓声を
上げていた。
 披露宴会場の隅で、場違いの雰囲気で、緊張気味だった私達は、姪と甥の
天真爛漫な振る舞いに、和やかになり、落ち着いた。

posted by たかママ at 22:16 | Comment(0) | 日記
2010年09月12日

結婚式

 結婚式は双方の身内だけで、執り行われた。先方は両親、弟、叔父叔母、
こちらは父親代わりの祖父、母、私、末の妹のミナ、仲人を勤めるシズの
子供二人。質素に行われた式とは反対に、披露宴は豪華そのものだった。
披露宴の華々しさは、当時のヒロの仕事柄のせいでもあったのだろう。
私が今までに見たことの無い、まるで芸能人の披露宴は、恐らくこんなもの
であろうと思えるほど派手だった。
 出席者は芸能界関係者と言うこともあってか、男性も女性も華やかな雰囲気
が漂っていた。彼女のパーティーコンパニオンの仕事仲間も、大勢出席して
いて、尚一層、華やかさに花を添えていた。

 特に、台湾から来て、日本の結婚式に初めて出席した祖父は、目を白黒
させて、居心地が悪そうだった。
 「日本の結婚式は、何処でもこんなものかねえ。とっても、派手で煌びやか
  だねえ。」
 「そんなこと無いわよ。ヒロが芸能関係の企画会社に勤めているから、特別
  なのよ。普通の人の結婚式が、こんなに派手だったら、お金が掛かりすぎて
  大変だわ。」
不思議そうに辺りを見回している祖父に、母が小声で説明していた。

 祖父だけではない、私も隣に座っている叔母も、何だか違う世界の出来事の
ようで落ち着かなかった。

posted by たかママ at 23:02 | Comment(0) | 日記
2010年09月09日

再会

 ヒロの結婚式には、沖縄から叔母も出席してくれていた。亡父の妹で
私達兄弟姉妹の唯一の父方の肉親である。この叔母は、母よりも私達の
行く末に心を砕いてくれていた。私を始め、妹達の結婚式には必ず出席
してくれ、祝ってくれていた。今度は東京在住の娘(従妹)と一緒に出席
して、披露宴では趣味で習っていた琉球舞踊を舞って、甥、ヒロの結婚
披露宴に花を添え、出席者から大きな拍手喝さいを浴びた

 母と叔母は、父の死以来、この時初めて顔を合わせたのである。母は
夫を、叔母はただ一人生き残った、兄を亡くした。しかし、その感情は
それぞれ、違う思いであった。叔母は三人の兄を戦争で失くし、ただ一人
残った最愛の兄も51歳の若さでこの世を去ったのである。叔母の悲しみは、
娘である私にも劣らない程の大きな悲しみだったに違いない。それ以来、
叔母が父の代わりの私達兄弟姉妹の節目には、必ず立ち会ってくれていた。
 
 母のそれは少し違っていた父の死は。長い間苦しめれた夫婦関係にピリオド
を打った出来事に過ぎなかった。
 そんな義理の姉妹が、ヒロの結婚式を機に15年ぶりに会ったのである。
複雑な思いはあったに違いないが、二人は手を取り合って、久しぶりの再会
を喜んだ。

posted by たかママ at 22:55 | Comment(0) | 日記
2010年09月08日

父親代わり

 まだ一年もある高校受験に、サトは気楽にJ高校を受験すると言っているが、
気まぐれな性格である。また、ころころと気が変わるかもしれないと、私は
高をくくっていた。それよりも、高校に受かるだけの学力があるか、その方が
心配だった。
 我が家の経済力では、とても私学に入れるだけの余裕はない。サトには是が
非でも頑張って公立の学校に受かってもらうしかないと、親ばかりがあせって
いた。当の本人は、あれこれ言う割には至極のん気で、相変わらずのクラブ
活動三昧の毎日を送っていた。

 秋も深まり、いよいよヒロの結婚式の日がやってきた。サトやタエは学校、
Kは仕事で、我が家からは私一人が出席することになった。式の行われる横浜
まで、新幹線ですぐだ。私も仕事が忙しいので日帰りでと思っていたが、グァム
から来る母の事を考えるとそうもいかず、シズの所で一泊することにした。

 式には、台湾から祖父(母の義父)も、父親代わりで出席してくれていた。ヒロ
は父の死後、家族がバラバラになった際、台湾の母の実家に預けられていた。
祖父は、ヒロが小学校4年生から中学を卒業するまでの6年間を文字通り、
父親代わりだった。祖父にとっても、ヒロの結婚は感慨深いものがあったに
違いない。

posted by たかママ at 22:45 | Comment(0) | 日記
2010年09月07日

トレード

 呆れたことに、サトは、男女交際にうるさくないJ高校を受験したいと言い
出した。当時の公立高校は校区が決まっていて、特別な科目(例えば、英語科、
体育科など)を選択する場合に限り受験が許されていた。地域全体で受かった
受験生を住所地で、通学する高校が振り分けられる。
  
 「でも、校区はNJ高校でしょう? 」
 「ウン、でも大丈夫。J高校に受かったのにNJ高校に行きたい生徒と、NJ
  高校に受かったのに、J高校に行きたい生徒を同じ人数だけトレードするん
  だって。」
 「じゃあ、希望者が偏っていたら、行きたい学校に行けない場合も出てくる
  訳ね。」
 「大抵は、大丈夫みたいだよ。でも中には、隣町のT高校に行かされることも
  あるんだって。そうなったら、嫌だなあ。」
 「どうやって、自分が行きたい高校を希望するの?」
 「受験の申し込みの時に、通学を希望する学校を記入する欄があるらしい
  よ。」
 「そんな面倒な事止めて、NJ高校で良いじゃない。」
 「嫌だよ、NJ高校は進学校だから、勉強も厳しいし、僕には向いてない。高校
  生活を楽しみたいし、やっぱ、J高校にする!」

 勉強が得意でない、サトの当然の思いだったのかもしれない。

posted by たかママ at 23:46 | Comment(0) | 日記
2010年09月05日

ええなあ。

 以前の借家の前の通りが、伝統のあるJ高校の通学路になっていた。
この学校は自由な校風らしく、通学の生徒の中には、当時には珍しく、化粧を
した女子学生がいたり、頭のてっぺんに大きな紫色のリボンをつけ風になび
かせながら、自転車に二人乗りで疾走するものいた。
 サトが、一番興味を持ったのは、カップルが楽しそうに談笑しながら、歩いて
いる様子だった。

 「ほらほら、お母さん、見て見て! あの二人、昨日も一緒に歩いていたでぇ。
  ええなあ。」
 「同じ高校に通っているんだから、別に不思議じゃないでしょう?」
 「ちゃうちゃう。この間は手をつないでいたし、あれはきっと付きあっとんの
  やな。恋人同士やな。」
 「ええなあって、何よ、うらやましいの?」
 「うん、俺も、J高校に行ってガールフレンドを作って、手を繋いで歩いたり
  したいなあ。」
 「別に、J高校でなくて良いじゃない? NJ高校でも女の子友達くらい出来るん
  じゃないの?」
 「NJ高校は男女交際に厳しいんだって。俺には向いてないよ。J高校を受験
  しようっと。」

posted by たかママ at 20:21 | Comment(0) | 日記
2010年09月02日

進路

 始業式の翌日から、サトの部活も始まった。この夏休み中、グァムに行って
いたので、すっかり野球部の練習を休んでいたので、久しぶりの練習にサトは、
張り切っていた。
練習より、もう一人の親友K君とH君と三人揃って、バカを言ったり、一緒に
遊べるのが楽しみと言った感じだった。サトは万年補欠で夏休み中、練習を
休んでいても、野球部の大勢には、なんら影響が無かったようだ。
しかし、K君もH君もレギュラーメンバーである。夏休み中も部活や練習試合
に忙しかったらしい。

来年の高校受験を控えているので、そろそろ、進路のことも考えなくては
ならない時期でもある。成績優秀なK君は、何も心配は無いようだが、ほとんど
成績に無頓着なサトは、どの学校を受験したいのか、本人の希望が二転三転
していた。
 中学に入った頃は、清原選手や桑田選手に心酔していて、しきりにPL学園に
行きたいと言っていたが、それも一時的な思い付きだったようだ。
 この市には、二つの公立高校がある。一つは、現役国公立大学進学を謳い
文句に設立された、新しい高校である。規律が厳しいと評判であった。もう
一つは、設立が古く伝統のある高校である。友人の中には親子2代、この高校
の出身者というのも、珍しくない。

posted by たかママ at 22:29 | Comment(0) | 日記
2010年09月01日

似た者同士

 新学期、いつものような日常が戻ってきた。タエは手一杯の宿題の山を
抱え、意気揚々と、元気良く出かけて行った。
 サトはいつものようにH君が迎えに来た。二人は顔を合わすなり、宿題
の話をしているようだ。男の子の会話はこんなものかと、そばで聞きながら
笑ってしまった。
 
 「おう!」
 「おう! お前、宿題、全部終わったんか?」
 「ううん、全然、出来てへん。」
 「そうか〜、俺もや。ははは。」 
 「まだ、今日は始業式やし、大丈夫やろ?」
 「そやな。一回目の授業が始まるまでに、出来ていたらいいやんか。」
 「今日、出さなアカンやつ、あったやろ?」
 「あった、あった。英語のプリントやろ。それは昨日ちゃんと、やっといた。
  昨日、必死でやっていたら、妹に馬鹿にされたわ。ははは。」
 「お前もか。俺の妹も宿題全部出来てるって、偉そうに言ってはったわ。
  ははは。」

 似た者同士、二人とも、宿題が出来てないことに悪びれた様子が露ほども
見られない。困った、仲良しコンビである。

posted by たかママ at 22:00 | Comment(0) | 日記
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